〜2015年頃に書いたもうちょっと詳しいわたしのこと〜

以前に暮らしていた大好きな沖縄の海  遠くに見えているのは神の島「久高島」です
以前に暮らしていた大好きな沖縄の海  遠くに見えているのは神の島「久高島」です

 

 

わたしのことを、もう少し詳しく書いてみようと思います。私の経験が、どなたかのお役にたてればと思い書いてみることにしました。長文ですが、ご興味を持たれたら読んでみてください。

 

 こどものころ

私は、南東北の高原地で生まれそだちました。自然あふれる場所でしたので、幼少時は、小川や野の道で遊ぶことがほとんどでした。庭や裏山を探検するのが何よりの楽しみだったのを憶えています。今でもそうですが、自然の中にあるときは、本当に自分らしくいられる瞬間です。

 

一方で、妖精だとか精霊だとか、見えない自然界の存在への憧れが強く、少女向けのおまじない雑誌に夢中になったり、反面、興味はあるのに異常に怖がりなので、必死に除霊や魔よけの方法を図書館の本で調べたりもしていました。魔よけのお札を手作りしたり・・・。当時は自分のことをそんなふうには思いませんでしたが、とても感受性が強い子供だったのだと思います。

  

中学、高校と地元の公立校に通いました。わりと成績もよく、学級委員や生徒会の役員などもこなしていたのですが、内面はどうしてかいつも不安で、どんなふうにふるまったらおかしくないのか、みんなと違ってはいないだろうか、などとビクビクとしていました。こんな私は周りから見ると、いつも憂鬱で何かけだるそうだったろうと思います。この頃から、原因不明のひどい頭痛と不眠や悪夢にも悩まされるようになっていきました。

 

 

 たいへんな時期

美術大学受験のため上京すると、それまでのもやもやが堰を切りようにあふれ出し、私はとても追いつめられていきました。食欲がコントロールできなくなり、極端に食べなくなったあと、大量に食べて吐くことを繰り返すようになっていったのでした。周囲には絶対に気づかれないよう細心の注意を払っていましたが、私の精神はほどなく擦り切れてぼろぼろになってゆきました。

 

そんな中での入試にもかかわらず、妙な集中力を発揮して、次々と志望校に合格できたのですが、晴れての入学直後、張り詰めていた緊張も限界になり、もう何もできなくなってしまっていました。

 

一年間の休学療養後、なんとか復学ができましたが、それでも毎日がしんどく、半ひきこもりのような状態で、非常に不安定な学生生活をおくりました。

 

大学では油絵を専攻していて、その制作中にやってくる一瞬の至高体験(神と一体になったような恍惚状態)にすがるように生きていたと思います。ですので、その時だけは爆発的に力を発揮でき、成績はいつも学年トップクラスでした。そんな私の願いに応えるように、世界はそのときだけ(作品を描き、発表したときだけ)私のほうを向いてくれるような気がしたものでした。

 

今思えば、私自身が、そのときだけ自分が愛されることを自分に許可していたのだとわかります。その他の時間といえば、世界はわたしにとって漠然として巨大な恐怖の対象になっていました。どうして私はみんなのように楽しく溌剌としていないのか、どうしてこんなに心が弱いのだろう、といつも自分を責めていたように思い出されます。

 

卒業後、当時お付き合いしていた社会人の男性とすぐに結婚、一児をもうけました。ですが、わたしの内面を反映してか、この結婚生活は私にとって心が痛くなるような毎日で、DV、モラルハラスメントを経験することになりました。治りかけていた摂食障害も悪化し、自分を責めてばかりの毎日の中、世界に張り巡らされた見えない敵と戦っているようでクタクタになっていました。それに、なんだか自分の胸のところがブラックホールのように真っ黒の穴が開いていて、どんなに何かで埋めようとしてもけっしてふさがらないように感じていました。

 

そして、離婚を決意、2歳だった娘を連れて、田舎にもどることになりました。

 

 

 じょじょに目覚めはじめる

地元にもどり、娘との忙しいながらもおだやかな生活の中で、少しずつではありましたが、生きる楽しさを取り戻していきました。その頃に、長年苦しんできた摂食障害もほぼ完治していきました。他人との境界線という概念を学んだのもこのあたりでのことです。他人に対してはっきり線をひいていいのだということにはとても衝撃を受けました。それまでは、それはいけないことだとと思っていたのです。

 

結婚で受けた傷や離婚後の心のケアをしたり、周期的に襲ってくる不安感、恐怖感、年々激しくなる頭痛、毎夜続いている悪夢の解決を求めて、さまざまな療法を受けるようになりました。ほんとうに、背負わなくてもよい荷物をおろすため、人生の棚卸しをはじめたのでした。

 

人生の棚卸とは、持ったままになっている想念や感情、記憶をひとつひとつ開いて、見て、感じて、不必要な場合は手放してゆくという作業です。(これにはさまざまな手法があるようですが、私にとっては、色や描画を使ったセラピーや、エネルギーワーク、アチューンメント、セルフカウンセリング、瞑想、読書体験などが功を奏しました。(中でも最も難しい問題を解いていったのは「アルガンザ・ジェネシスヒーリング」でした。2019年追記)そして子供のころや、時には過去生からの、癖や思いこみ、勘違い、愛の欠如、持ち続けたネガティブな想念を見直してゆきました。

 

これらのスピリチュアルな作業はけっして楽しい作業ばかりではありませんし、投げ出したくてたまらなくなることもしばしばでした。(苦しみというものは時に、手放してしまうと自分ではなくなってしまうと錯覚を起こさせるものです。)それに、それなりのお金もかかりましたが、にもかかわらず、特に裕福な生まれではなく経済力にも欠けていた私が、ここまで止まることなく進めることができているのは、ほんとうに導きとしか言いようがありませんでした。

 

はじめは、起こり始めた変化を糸巻きの糸ほどにも感じられず、本当に自分は変化してるのだろうか?とか、全部無駄なのでは?と心配に思うほどゆっくりとしたペースでしたが、年々この流れが加速しているのを今では感じられます。手放しが加速するほどに自分に合った手法や人物に出会えるようにもなってきました。そしてそれは、心の問題だけでなく、生活のすべての面での浄化や変化をも伴いました。

 

そんな中私は、レイキヒーリングという言葉と出合い、セッションも受けたことがないのに、なぜかすぐにアチューンメントを受けました。今思えば、けっこう慎重なところがある性格なので不思議なのですが、なぜだか直感的にこれは私のやることだ、と思ったのでした。 そして、その頃苦しみの中でいつも考えるようになっていた、「本当の愛とはなんだろう?」という疑問への答えが、そこにあるような気がしていたのでした。

 

その後、何年もの月日を経て、様々な意識の浄化を終えて、こうして仕事にまで使うことになりましたが、その答えが今ならようやく自分の体に刻みこまれてきたように思います。レイキエネルギーを理解し、使い続けることでの一瞬一瞬が学びの機会になりましたし、これからも生きている間中がそのレッスンの時間なのだと感じています。

 

 

 

 

 

 

 

 

つづきは作成中。。。