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乗ってきた筏は捨てて行くだろう

     

 

 

一つの川を渡るために使った乗り物は、先に進む時には持っていけないという例え話。

 

 最近はこのブッダの言葉の意味を考えている。

 

 

日本のスピリチュアル業界に横たわる「癒し」と「成長」。

この二つの間にある隔たり。スピリチュアル=霊的成長の意味の誤解。

 

 

ヒーリングなど、こういう世界に興味を持つ方々は、挫折した経験、内面の不調和からくる病気、体質的な生きづらさ、対人関係や金銭、感情の問題などを抱えていて、それをなんとかしたいと探るうちにレイキやエネルギーワーク などに辿り着くのだろうと思う。

 

少なくとも私の周りはそういった人が多いし、私自身もそうだった。

 

 

その最初の段階で必要なのは、先ずは心の「癒し」。

 

そこで多く出会うのは、あなたはありのままで、そのままで何もしなくていいという母性的なメッセージ。

甘やかでゆったりとした世界観。

 

精一杯生きる中で押し込めてきた怒り、悲しみ、全ての自分をそのままに感じ切ることを許し、助けが必要ならば、安全な誰かに受け止めてもらうことで、これからもそんな自分をその都度自分で受け止められるようになってゆくための、これは練習。

 

確かに、悩み擦り切れてしまった人々は、ここを通らなければ力が出ないので次には進めないだろう。

 

 

でも、その練習をしながらも、前に進まなければならなくなる時が来る。

神はいつだって、変化を促す力として我々を訪れるのだ。

 

これが「神=変化」と言われる所以。

 

 

その時、乗ってきた筏は捨てて行くだろう。

 

 

ここからは徹底した、これまでの自分を脱ぎ捨ててゆく過程が始まる。

 

そのままで良くはない。

 

ありのままで氷の塔に閉じこもっていれば、誰の心へも届かない。

ありのままでエゴセルフのワガママを通していても、みんなバラバラ、世界の調和は訪れない。

 

 

進化、成長とはそういうもの。

恐れを越えて愛の元に行動してゆくことが求められ、そして自らもそれを願い実践する。

 

あなたには変化しなくてはならない理由があるはずだ。

もし、そんなものはないと思うのなら、そこには恐れか若しくは愛の欠如がある。

 

 

その変容の先に、「自分のために=世界のために」という、エゴではなく、魂からのワクワクとした自己実現が待っているし、 ひたすらに良き行いを続ける者には、高次は惜しみなき援助をもたらすものだという。

 

 

そしていつか。

懸命に行ったこれらの業も全てを終えて、この世での転生を終えて天界へ帰る時も来る。(それはキリストの磔刑にあらわされ、神智学では「第四イニシエーション」と呼ばれる)

 

その時もやはり 乗ってきた筏は捨ててゆくのだろう。

 

 

 by Yew